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佐賀地方裁判所 平成10年(ワ)213号 判決 2000年5月01日

原告

垣内義輝

右訴訟代理人弁護士

河西龍太郎

辻泰弘

東島浩幸

被告

株式会社佐賀銀行

右代表者代表取締役

指山弘養

右訴訟代理人弁護士

安永宏

牟田清敬

池田晃太郎

主文

一  被告が平成九年三月四日にした原告名義の定期預金(被告本店大口定期一〇〇〇万円 預入日平成八年七月二二日)を担保とする金四四八万一九〇三円の貸付(当座貸越)は無効であることを確認する。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を被告の、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告が平成九年三月四日した原告名義の普通預金(被告本店口座番号*******。以下「本件普通預金」という。)金五一万八〇九七円の払戻し及び定期預金(被告本店大口定期一〇〇〇万円 預入日平成八年七月二二日。以下「本件定期預金」という。)を担保とする金四四八万一九〇三円の貸付(当座貸越)はいずれも無効であることを確認する。

第二  事案の概要

一  本件は、原告の盗まれた額面一〇〇〇万円、満期平成一三年七月二二日(五年満期)の定期預金を含む被告本店の総合口座通帳及び印鑑を冒用した者に対し、被告鳥栖支店において普通預金五一万八〇九七円の払戻しと四四八万一九〇三円の満期前の定期預金を担保とする当座貸越をしたことにつき、右はかかる金額が一般の日常生活上の必要な金額の範囲内ではないのに漫然と権限のない者に払戻しをしたとして、原告が被告に対し、その各無効の確認を求めたのに対し、被告は、債権の準占有者の弁済にあたるとして、右払戻し等はいずれも有効であるとして、原告の請求の棄却を求めている事案である。

略称等

以下、普通預金のみの引出については「払戻し」といい、他方、右払戻しまたは定期預金を担保とする当座貸越ないし担保貸付については、単に「払出」という。

二  争いがない事実等

1  被告は、銀行経営を営む者であり、原告は預金者である。

原告は、平成八年七月二二日、それまで銀行取引のあった被告本店で総合口座取引契約を締結し、額面一〇〇〇万円、満期を五年間とする定期預金をした。

2  原告は、平成九年三月四日午前一一時半から午後一時半ころまでの間に空き巣狙いの窃盗被害に遭い、本件通帳とその届出印鑑を盗まれた。

3  同日午後一時五〇分ころ、本件通帳及び印鑑を冒用した無権限の者(以下、単に「払出人」という。)が、被告鳥栖支店に訪れ、五〇〇万円の払戻しの請求をし、被告鳥栖支店嘱託行員徳渕康子(以下「徳渕」という。)をして、普通預金五一万八〇九七円の払戻しと四四八万一九〇三円の本件定期預金を担保とする貸付を受け、合計金五〇〇万円の払出交付をさせた。

ちなみに、右払出の当時、原告から被告に対する盗難事故届は未だ出されていなかった。右届があれば、窓口において、払出処理のために被告の機械に通帳を挿入しようとしても、右機械がこれを拒む仕組みとなっている。

4  払出人は、四〇歳から五五歳であり、手続の際、後で取りに来るといって、被告鳥栖支店を離れた。当時スーツを着てサングラスを着用していた(甲三、乙二、徳渕証言)。

原告は当時七八歳であったところ、払戻請求書には、コンピューターにより原告の氏名・年齢・電話番号等が印字されている(甲二)。ただし、右印字は、窓口担当者及び上司による審査の後、金員を交付する段階、機械からお金を取り出す段階で初めてなされる(徳渕証言)。

もっとも払出人が受付をしたのは、平成九年三月四日の午後二時〇一分であり、役席者の検印を受けて機械操作をしたのは午後二時〇二分であり、払出人が再び店頭に現れるまで二〇分強の時間があった(甲二、三、徳渕証言)。

5  被告の場合、二〇〇万円以上の払出については、事前に役席者の検印を必要とする(乙一)。なお、被告鳥栖支店の役席者は四、五名いる(緒方証言)。

払出に際し不審情報があれば、窓口は役席者に報告するよう研修指導されている。しかし当時右報告すべき場合の類型化、基準化はなされていなかった(緒方証言)。

6  被告鳥栖支店徳渕は、通帳及び届出印鑑の照合の点を除くほか、払出人に対し、預金者本人との同一性の確認や本人からの委任の有無等、正当な権限がある者であるか否か等の点につき、何らの発問もせず、また払出人が、お金は後で取りに来るからなどとして被告鳥栖支店を離れたこと等につきその役席者に報告しなかった。その役席者も払出人に対し何らの発問もしなかった(徳渕証言)。

7  本件当日、五〇〇万円以上の引出は四〇件あった(乙六)。

8  本件総合口座取引契約の約款第三条によれば、

(一) 普通預金について、その残高を超えて払戻しの請求または各種料金等の請求があった場合には、当行はこの取引の定期預金、積立式定期預金および国債を担保に不足額を当座貸越として自動的に貸出し、普通預金への入金のうえ払戻しまたは自動支払いします。

(二) 前項による当座貸越の限度額(以下、「極度額」という。)は次の第1号と第2号の額の合計額とします。

(1) この取引の定期預金及び積立式定期預金の合計額の九〇%(千円未満は切り捨てます。)または五〇〇万円のうちいずれか少ない金額

(2) (国債を担保とする貸付―省略)と規定されている(甲一)。

三  争点

民法四七八条の(類推)適用の有無。総合口座の普通預金の払戻し及び本件定期預金を担保とする貸付(当座貸越)につき、「銀行として尽くすべき相当の注意」を払った(善意かつ無過失)といえるか。

四  当事者の主張

1  被告の主張

(一) 盗難事故届が被告に届いていない本件においては、被告鳥栖支店担当者は、本件払出につき、払出人において本件通帳と届出印鑑を所持していたこと及び届出印鑑を使用した払戻請求書の提出が確認された以上は、払出人が無権限で払出の手続をしているのではないかと疑うべき特段の事情がない限り、「銀行として尽くすべき相当の注意」をしたといえる(東京高裁昭和六〇年七月一九日判決判例時報一一六二号三二頁、最高裁昭和六三年一〇月一三日判決参照)。右「銀行として尽くすべき相当の注意」とは、普通預金払戻しの申出がなされたことに応じ、一定限度額までは自動的に貸越が行われる総合口座の性格等に照らし、普通預金の払戻しにおける注意の程度と異なるところはない。本件では被告に過失はない。

(二) 本件では、確かに、払出人の推定年齢と、払戻請求書に記載された原告の年齢とは相当の開きがある上、当時サングラスをかけ、後にお金を取りに来ると言って、被告鳥栖支店を離れていた等の事情があったが、しかし、子や孫を含む家族が本人の代わりに払出をすることは、日常茶飯事であり、またサングラスの着用が不審だとするのは、サングラスに対する偏見である。この点から前記特段の事情があったとはいえない。

(三) もし払出の際、身分証明書等の提示を求められ、身分をあれこれ尋ねられたら、その人は、二度と被告を利用しないであろう。本件の五〇〇万円の額が低いか高いかは、各家庭の経済事情によって異なるから、金額の多寡によって「銀行の尽くすべき相当の注意」の程度を決するのはそもそも困難である。

(四) 本件事故は、そもそも原告が通帳と届出印鑑を一緒の場所に保管していたことに由来するところ、総合口座はどこの本支店であっても自由に引き出せる利便性が得られる以上、その一方で、その危険を防止する責任は原告にあり、もし原告の主張する注意義務を課せられたら、右総合口座の趣旨は没却されてしまう。

(五) 役席の検査の対象は、通帳・届出印鑑の確認及び満期の到来の有無と無権利者への支払危険性であり、そして後者については、盗難届、紛失届の有無、所持人の挙動不審等であるところ、ただ、これは、窓口担当者からの不審であるとの報告をまって開始される(もし一定額以上の払戻しにつき必ず役席が対応すべきであるとしたら、他の業務との兼合いで困難を強いるし、客に対して予断と偏見をもって臨む失礼も生じる)。本件の場合、不審な事情はそもそもなく、役席はかかる事情の報告を受けていない。そもそも大多数は問題のない顧客であるのに、思込み等によって例外の事例ばかりを念頭に置いて窓口業務をするのは徒らに業務に支障を来す。

(六) 本件払出の当日における被告鳥栖支店における五〇〇万円以上の払出の数は、四〇件あり、一時間あたり八回であって、平均すれば約八分に一件の割合で、かかる金額の引出があることになる(乙六。二〇〇万円以上の引出は同日五八件)。従って、かくも頻繁にある払戻しにつき、原告主張の調査をすることは(役席者がかかる場合に必ず応対するのは)非現実的である。

(七) 窓口受付及び事前検印の段階では、預金者本人の年齢等の顧客情報は一切払戻請求書に印字されていない。

(八) 担保貸付限度額につき、都市銀行が二〇〇万円に限定しているとはいえ、被告のような地方銀行とではそもそもその契約内容が異なるから、異なる都市銀行の契約を基準にして、二〇〇万円以上であるという理由で、過失ありとするのは相当でない。現に限度額を五〇〇万円としている銀行等は被告以外にも多くあり、その場合でも原則として通帳と印鑑照合をするのに止まっていよう。

本件の被告の対応は他の裁判例と比較しても特に問題はなく、しかも本件総合口座取引規定三条には当座貸越は五〇〇万円までと規定されている以上その範囲内の払戻請求にはむしろ応じる義務がある。

(九) 五〇〇万円という額についても、中小企業者や個人事業主であれば、一時的にまとまった資金が必要になることは頻繁にあるし、資産家であれば、かかる額の資金運用等は日常的にあり得る。よって、払出金額の使途を問題にするのも相当でない。

その他、鳥栖支店と原告の住む佐賀市ないし本件口座開設をした被告本店とはさほど離れてはいない。しかも自宅近くで現金を払い出して現金を持ち運ぶよりも使途先に近接する金融機関で払い出す方が安全である。

2  原告の主張

(一) 金融機関は、預金者の日常的な資金需要を満たす役割もあるが、他方で、預金者の貴重な財産を預かっている以上、右財産を保全すべき役割、とりわけ無権限者からの払出を遮断する義務がある。少なくとも三〇〇万円を超える金員は、日常生活上の必要を超える金員であるから、かかる額の払出については、そもそもこれを認めないとするか、日常生活上の必要額の引出に比して「銀行の尽くすべき相当の注意」は、より重くなるべきである。

すなわち、窓口ないし役席者に一定の事情・状況等に応じ、適切な質問をし正当な権利者であることの確認を求め、その確認ができないときは、運転免許証その他正当な権利者であることを認めるに足りる書類の提示を求めるのが相当である(郵便局の取扱基準につき、甲六の一及び二)。右高額の払出につき、役席者に必要とされる確認手続は、前記金融機関の預金保全義務に照らし、通帳の持参と印鑑の照合だけでは足りない。かかる義務(年齢や電話番号による確認等)を課したからといって、窓口業務の円滑を害することはない。

(二) 被告は、内規として、一取引二〇〇万円以上の場合は、窓口担当者が担当役職の事後検印で済ますことができない、すなわち担当役職が直接取引内容をチェックし、払出をしてよいか否かの判断をする旨定められている。

また他の銀行の取扱内規を見ても、原則として二〇〇万円等の一定の額を超える定期預金担保貸付は認めていなかったり、口座開設店以外での右一定高額の払出につき、窓口の判断のみならず役席者の事前承認が必要とされている例が多い(甲八の一及び二、一一の一及び二、一二、一三、乙一)。しかも嬉野農業協同組合、杵島農業協同組合(以下、単に「嬉野農協」、「杵島農協」という。)においては、本人以外の者からの払出の申出があった場合、本人の意思の確認が必要であり、杵島農協では、右払出に来た者において、事前の預金者からの情報と食違いがある場合、本人に電話確認する(甲一〇の一、二、一一の一、二)取扱いとなっている。

(三) 総合口座の制度は、預金者からの中途解約を防止するとともに、定期預金の金利よりも高い金利による担保貸付を認めることにより利ざやを稼ぐという、主として銀行側の利益のために設けられたものであるから(預金者の利益は、日常生活上の融通の便宜に備えること)、結局、民法四七八条の解釈としては、定期預金の解約と同様、慎重な判断が必要とされるのであって、普通預金の払戻しの場合とは同視できない。

(四) 総合口座は、どこの本支店でも払い出せるとはいえ、定期預金を担保にして貸し付けるという実質定期の解約を認める以上、そしてそれが日常的に必要な範囲を超えた額の払出を認める以上は、注意義務が極端に解消されるいわれはない。

総合口座における自動貸越という利便性の点についても、日常生活上の必要な額を超える額の払出についてまで預金者はかかる利便を求めるものではない。もし通帳や印鑑が盗難に遭い、預金が払い出された際には、盗難届がない限り、銀行が免責されて預金を失うというのであれば、そもそもかかる日常生活に必要な額を超える額について、簡便な自動貸越は期待しない。

貸越限度額を高く設定すればするほど、予期される事故の場合に預金者本人の損害も拡大されるのであるから、被告において、預金者保護のために、より慎重な注意が要求されるのはむしろ当然である。しかも、無権限の窃盗犯人や家族による払出の危険については、郵便局の内規のとおり、一定の類型化が可能であり、本人確認のための質問をすることも容易である。

そうだとすれば、かかる日常生活上の必要額を超える金額の払出の場合、役席者は通帳及び印鑑照合すれば足りるということにはならない。

(五) 本件払出人は、総合口座を契約した被告本店ではない被告鳥栖支店に現れ、年齢も原告とは明らかに違う上、サングラスをかけ、日常生活上必要な範囲の金額ではない五〇〇万円を払い出そうとしており、にもかかわらず、後でお金を受け取りに来るなどと言って、被告鳥栖支店を離れている等の事情を総合すれば、払出人に正当な権限がない可能性があるとの危惧感ないし疑いを抱かせるに足りる相当の事情があった。五〇〇万円は一生に一回使うか使わないかの高額であり、おそらく高級自動車の購入や住宅の頭金の支払等にあてられるのであろうが、しかしこれを、生活圏から離れた「出先」で契約したり、生活圏外の支店で払い出すには不自然である。

然るに、被告鳥栖支店担当者(決済の上司も含む)は、印鑑照合等の形式的審査のほかは、何らの注意や配慮をしてはおらず、従って、被告は、銀行としての尽くすべき注意を果たしていない。

(六) なお、前記1(一)で被告の引用する高裁判決は、払出金額がわずか九〇万円であって、本件の五〇〇万円とはそもそも相当の開きがあり、右判決の事案とは同視できない。しかも、払出金額が高くなればなるほど、これに応ずる銀行側の尽くすべき注意が高度になるのは当然であるから、右判決の理をそのまま本件に適用することには無理がある。しかも、右判決は、払出人が、当該取引の名義人で、かつ当該定期預金の預金名義人である被控訴人の配偶者であるかのように振る舞ったこと及び一定の怪しむべき事情の下銀行が一定の質問をした結果、払出人が怪しむに足りる者ではないと正当に判断したことをもって銀行の免責を認めたにすぎないから、本件とは前提事情を異にする。

(七) 窓口の具体的に果たすべき注意について、

(1) 払戻請求書に記載された年齢の記載から、本人とは認められないから、例えば「ご本人ですか」とまず質問し、「本人だ」との返答があれば、虚偽の申述であることになるし、「本人ではない」と返答されれば、「本人とのご関係は」などと順次確認していくことが可能になる。また生年月日を質問すれば本人及びその身内であれば答えられるし、答えられないときは、身内ではない可能性が高いから、「委任状はお持ちでしょうか」と尋ねることもできる。

(2) 同じく記載された電話番号を基に、「電話番号は」と質問し、「最近引っ越したので覚えていない」との返答があったときには、「引っ越前の電話番号は」と確認すればよい。

(3) なお、以上の事柄については、そもそも口座開設時には、本人から銀行に対し届出がなされており、そもそも本人確認のために重要な事柄であるから、右質問をすることによって、客が立腹して預金を引き上げてしまう不都合が生じる等は杞憂であるし、このようなことで窓口業務に支障を来すことはあり得ない(仮に窓口の円滑の必要があるとしても、それは預金者保護との衡にかけられなければならない)。

因みに、クレジットカードを利用して僅か数万円の買い物をするだけでも、電話番号等の記載を求められるのであるから、少なくとも日常生活上必要な額を超える五〇〇万円の支出の場合にこれを尋ねることは何ら問題ではない。

第三  争点に対する判断

一  民法四七八条の債権の準占有者への弁済の要件

1  民法四七八条によれば、債権の準占有者に対する弁済は、弁済者において「善意」であったときに限り、真の権利者に対抗することができる旨規定しているのみであるが、しかし同条が、無権利者に対する弁済であるにもかかわらず、権利者らしい外観を持つことから、特に有効な弁済と認めるものであるから、民法四八〇条の規定等との均衡からいっても、結局、正当な権限を有しない者に対する払出であることを知らなかったことにつき、無過失であることをも要すると解される(最判昭和四一年四月一二日裁集民八三号一二三頁)。

2  右善意無過失の点の立証責任は、弁済を有効と主張する側が負担しなければならない。

なお、他方、民法四七八条の(類推)適用によって不利益を被る預金者本人について、その帰責事由は、右(類推)適用のための要件ではない。

3  右善意無過失は、本来その職業人の水準としての注意義務であるところ、銀行等の金融機関は、金融・金銭出納関係の専門家にして、一般人以上に高度の注意能力を有するから、これによる限り、その能力に見合う一定の高度の注意義務を負担すべきことにもなろう。また国民において、銀行等は公的機関に準ずる機関であるとして、貸倒れがないか否かの点も含め、預金の保全につき強く期待している。

しかし他方、預金の受入れ及びその管理は、金銭消費寄託契約の性格を有し、後示二のとおり、預金の性格及び銀行や預金者の利益の有無等によって、銀行の尽くすべき注意が軽減される場合も当然あるというべきである(我妻民法講義V3中二巻七二八頁、七四〇頁等)。

4  本件のような担保貸付ないし当座貸越による払出の場合、弁済そのものではないが、一定額までは定期預金の払戻請求債権と当然に相殺する予定のもとに貸越しをするのであるから、民法四七八条の類推適用があると解すべきである(最判昭和四八年三月二七日民集二七巻二号三七六頁、同昭和五三年五月一日金融法務事情八六一号三三頁、同五九年二月二三日民集三八巻三号四四五頁、同昭和六三年一〇月一三日裁集民一五五号五頁)。

5  以上を前提に考察すると、例えば、預金者本人の預金通帳と届出印鑑を所持していることは、銀行は、預金者本人かあるいは少なくとも正当な委任を受けた者が払出手続をしていると考えるのが一般であるから、その意味で、正当な権限でない者による払出手続であることにつき少なくとも「善意」であるといえ(徳渕証言、緒方証言、甲三)、また、預金通帳と届出印鑑を所持していることを検査したことを以て、右無権利者による払出であることにつき、過失がなかったといえる場合も、とりわけ普通預金の場合には、もとよりあり得よう。

しかし他方、総合口座における定期預金を担保とする払出の場合は、右通帳及び届出印鑑の所持及びその検査をもって、無権限者に対する払出であることを知らなかったことにつき過失がなかったといえるかに関しては、以下に述べるとおり、個々の事例毎に判断されなければならない。

二  総合口座取引契約について

1  いわゆる総合口座取引契約とは、普通預金、定期預金及び定期預金を担保とする当座貸越の各取引を組み合わせ、一定額までは定期預金の払戻請求債権と当然に相殺する予定のもとに普通預金の払戻しの形式により貸越しをすることを内容とする契約である(最判昭和六三年一〇月一三日裁集民一五五号五頁)。

2  普通預金とは、預金者がいつでも自由に預入れ、払戻しのできる典型的な要求払預金で、利率が預金の中で最も低い預金である。これに対し、定期預金とは、予め支払期日を定めておき、その期日の到来するまでは引出をしないことを特約した預金である。

しかるに、総合口座は、定期預金に加えて普通預金を含み、同口座名義人には、同人の設定した暗証番号が磁気記憶されたキャッシュディスペンサー用カード(以下、単に「カード」という。)が発行され、これを用いて暗証番号を自動現金支払機に正しく入力すれば、窓口によらなくとも同機械により普通預金を払い戻せるほか、定期預金の満期前であってもこれを担保として、その九〇パーセントの額まで、右普通預金の残高を超えて貸越を受けられる。さらに同カードを用いなくとも、同暗証番号を正しく入力すれば、通帳のみでも、同様に、払出を受けられる(公知の事実。最判平成五年七月一九日裁判時報一一〇三号一頁)。

3  総合口座の当座貸越による払出の法的構成につき、普通預金の払戻しにすぎないと捉える立場(普通預金的構成)と、定期預金担保の貸越金の支払と捉える立場(預担貸的構成)とがあり、前者は、普通預金の残高を超える引出の場合に、定期預金を担保に極度額の限度内で不足額を当座貸越として自動的に貸し出し、これを普通口座預金に入金した上、普通預金の払戻しとして、払戻請求書による払戻しという手続でなされるという形式面を重視した考え方であるのに対し、後者は、定期預金を担保とする貸出が行われるという実質面を考慮する立場である(金融法務事情一一一五号一六頁)。

4  なお、被告の引用する東京高裁昭和六〇年七月一九日判決(高民三八巻二号九三頁)によれば、総合口座の預金者である被控訴人が銀行である控訴人から「カード……の発行を受け、控訴人の現金自動支払機により」「当座貸越……を受けることもできていた」ことを認定した上、同「カードを使用すれば銀行の窓口を経由することすらなく支払等のために必要とする資金を調達することができるという利益を享受している」ことも理由の一つとして、普通預金の払戻しと同視しているかのように読める箇所がある。

確かに預金者本人にとっては、窓口を経由せずに、つまり届出印鑑を所持することなく現金自動支払機からも払い出せるという意味で利益の拡大がある。

しかし、現金自動支払機から引き出すには、届出印鑑こそ要らないものの、カードを用いるにせよ、総合口座通帳を用いるにせよ、カードの暗証番号を正しく入力しなければならず、かつ暗証番号は本来預金者本人(やごく限られた者)のみが知る秘密事項であるから、預金者本人確認等のために極めて有力かつ意味のある手続であるということもできるのであって、その意味で、現金自動支払機からの払出手続が、窓口審査のそれに比して一層緩やかになっているなどと断定することもできない(かえって、預金者の留守中に空き巣狙いの盗難にあった場合を想定すると、届出印鑑と通帳を盗まれたとしても、カードの暗証番号が判明しない限り、窃盗犯人は現金自動支払機からは払い出すことができない。しかもカードは預金者が携帯して外に持ち出している可能性が高いが、仮にこれをも盗むことができたとしても、その暗証番号を知ることは困難である。)。

結局、総合口座において、窓口審査を経ることなく、しかも届出印鑑を所持しなくとも現金自動支払機から自動的に貸越ができるという一事をもって、直ちに当座貸越を普通預金の払戻しと同視すべき一要素とみなすというのであれば、それは必ずしも相当でない。

5  因みに、右は普通口座を含む総合口座の場合に限らない。純然たる定期預金口座であっても、併せてカードの発行を受けている場合であれば、現金自動支払機からカードあるいは通帳のみで(但し、いずれの場合も暗証番号を正しく入力することが必要)、定期預金を担保に貸付を受けることができる(公知の事実)。

6  預金口座の利用のあり方と払出における必要な注意

顧客が銀行に預金をする場合で、当初の予定に反し間もなく資金の必要のため同銀行から引き出すことが必要になったような場合、取りうる方法は、以下のとおりである。

① 単なる定期預金にしておいて、満期前にその全部又は一部解約をする方法

② 単なる定期預金にしておいて、満期前にその定期預金を担保にして貸付を受ける方法

③ 総合口座を開設して定期預金にしておいて、定期預金の満期前に普通預金の払戻しの形式で、定期預金を担保に当座貸越を受ける方法(本件の場合)

④ (総合口座中の)普通預金にしておいて、その払戻しをする方法

(一)  ①の定期預金の満期前解約について

前示2のとおり、定期預金とは予め支払期日を定めておき、その期日の到来するまでは引出をしないことを特約した預金であって、預金者は、普通預金とは違って、満期までは払戻しができないのであるから、万一盗難事故等があっても、満期までは容易に払い出されてしまうことがないとの安心感を持っていること、他方銀行においても、預金者からの満期前の解約申入れに無条件に応ずる義務はなく、預金者における解約の必要性(事情)を確認した上で払出に応じるのが通例であるから、払出における銀行等の側の尽くすべき注意の程度はより厳しいものとなろう(金融法務事情一〇七三号二八頁、奥田昌道債権総論五〇八頁、なお、緒方証言)。

(二)  ③の定期預金を含む総合口座の当座貸越の場合

(1)  他方、③の定期預金を含む総合口座の場合は、口座開設店のほか、どの支店からであっても、定期預金の一定限度額までは自動的に当座貸越を受けることができること、その手続自体普通預金の払戻しと同じ形式であること等から、前示のとおり、かかる当座貸越をあたかも普通預金の払戻しに準じる立場には、理由がないわけではない。しかも、緒方証言によれば、総合口座は反復継続して取引をするためのものである。

(2)  しかし、先ず、どこの支店からでも、当座貸越ができることもって、直ちに普通預金と同一視するのは相当でない。顧客の立場に照らし、単純に普通預金にすることなく、総合口座とはいえ定期預金を設定している以上、あくまでも普通預金ではなく定期預金をしているという契約意識を持つと思われ、その意味で、やはり万一盗難事故等があった場合には、満期までは容易に引き出されてしまうことがないとの安心感を持っているはずで、この点は、単なる定期預金を選択とする場合とでほとんど異なるところはない(多くの預金者は、その上で、どこの支店でも貸越が受けられるというメリットが単純に付加されたとの認識を持つにすぎないであろう。)。

もし総合口座を選択することによって、(民法四七八条の解釈として)盗難等の際には、如何なる高額の、しかもどんな長期の満期を持つ定期預金の部分ですら、いとも容易に引き出される等の危険を負担することが総合口座の当然の前提であれば(かつその危険性の説明が事前に十分になされたならば)、定期預金につき、場所を越えて自由に資金活用をすること等まではそもそも考えていない者も決して少なくないから、そうした者においては、右危険を負担してまで総合口座を利用しようとはしないであろう(預金者は、生き馬の目を抜く競争社会での商売に生きる者や一攫千金狙いをしている者ばかりではない。緒方証言は、被告銀行は地域密着型の銀行であるとしているところ、大都市から離れた地方であればあるほど、所得水準の比較的低い者や、年金等や貯金のみを頼りとして生きているお年寄り等も当然想定できる。なお、例えばとりわけ銀行関係者に周知であるマル優制度は、六五歳以上のお年寄り等に対する貯蓄促進のための税の優遇措置である。また右地方性及び地元密着性と預金者本人保護の点等に関し、後示郵便局、嬉野、杵島各農協の取扱も参考になり得ないわけではない。)。

(3)  また総合口座の反復継続的取引的性格についても、その普通預金の部分(及び日常生活的な料金支払等)については妥当するとしても、少なくとも定期預金を担保とする一度に高額の払出についてまで、一般的に反復継続的であるかについては、これを認めるに足りる証拠はない。この点の緒方証言は信用できない。

(4)  要するに、一定限度までは自由に預金者本人が引き出せることは、預金者にとってメリットであるとした上で、その裏腹において銀行の尽くすべき注意が軽減されるという側面を完全に否定することはできないものの(前示一3)、しかしだからといって、直ちに普通預金並の注意しか負わないとするならば、妥当性を欠く場合が生じるのはむしろ当然である。

(三)  そうすると、一方で、右預金者のメリットにもかんがみ、前示定期預金の満期前解約の場合と完全に同視することまではできないものの、だからといって(昨今の消費者保護のための法規制の動向等にも照らし)、預金者において、総合口座を選択したことをもって、如何なる類型の場合であっても、銀行側の責任が当然に軽減されるとするのは相当でない。

(四)  然るに、以上に対し、

(1)  前示東京高裁判決昭和六〇年七月一九日判決(高民三八巻二号九三頁)によれば、総合口座における定期預金を担保とする当座貸越における銀行の尽くすべき相当の注意とは、概ね普通預金のそれと同視してよいとしている。

しかし同判決が、その文言はともかくとして、当該事案において実質的にも、概ね普通預金の場合と同様の注意で足りるとしたものと評価して良いかは疑問がある上、上告審の最高裁判決(昭和六三年一〇月一三日裁集民一五五号五頁)もこの説示部分を真正面から積極的に認めたともいい難い。右高裁判決の事案と本件の事案とでは、出金額の点等を含め、そもそも相当異なっているのであって、かつこれに前示4の点をも併せ考慮すると、少なくともこの高裁判決の理を本件の事案の解決に活用することは必ずしも相当でない。

(2)  被告は、契約によれば自動的に五〇〇万円まで貸越すとなっており(前示第二の二8)、これに従う以上は、通帳及び印鑑照合のほかは、特段の事情がない限り、格別の注意をも負わない旨主張する。

しかし、自動的に貸越すのは預金者本人等に限るのであって、しかも以上に述べたところにも照らせば、同契約があるからといって、直ちに、如何なる類型的場合であれ、正当な権限のある者に対する払出であるか否かの点につき、尽くすべき注意が普通預金の払戻し並に軽減されると断ずることは相当でない。

三  他の金融機関の取扱例

1  定期預金担保貸付の限度額については、都市銀行は概ね上限二〇〇万円と定めている上(甲一二、一三、一七ないし二二、二三の一)、多くの銀行等金融機関において、内規及び実務上少なくとも口座開設店以外での三〇〇万円を超える払出については、窓口の判断のみでは足りず、役席者の事前承認が必要である。

2  また、郵便局の取扱基準につき、甲六の一及び二によれば、後記の一定の場合には、

① 「請求人、申込人または届出人の挙動その他の請求、申込みまたは届け出を受けたときの状況等に応じて適切な質問をし正当な権利者であることを確認する。」

② 「質問によってもなお正当な権利者であることの確認ができないときには、請求人、申込人又は届出人に官公署、会社等の発行する運転免許証…その他正当な権利者であることを認めるに足りる書類の提示を求める。」

とし、そして、右一定の場合とは、

ア 取扱者が預金者又はふだん預入等をする者を知っている貯金の通帳若しくは貯金証書により、その預金者又はふだん預入等をする者以外の者による払戻の請求、貸付の申込み又は印章変更の届出をするとき

イ 男性が女性名義の、又は女性が男性名義の通帳若しくは貯金証書により払戻の請求、貸付の申込み又は印章変更の届出をするとき

ウ 年少者がその者に不相応な金額の払戻しの請求又は貸付の申込みをするとき

エ 請求人又は申込人が印章変更と同時に、又はその直後に高額の払戻し若しくは全額に近い払戻の請求又は高額の貸付の申込みをするとき

オ 請求人、申込人又は届出人が払戻金の受領証、貸付金受領証若しくは改印届出書の住所氏名を誤記し、又は過去に払戻の請求若しくは貸付の申込みをしていたにもかかわらず払戻金の受領証若しくは貸付金受領証の記載方法を尋ねる等不自然な点が認められるとき

カ 印章変更及び住所移転の届出と同時に亡夫による通帳若しくは貯金証書の再交付の請求をするとき、又は郵便貯金全払請求書により証書払の請求をするとき

キ その他アからカまでに準ずる疑わしいと認めるに足りる事由があるとき

と規定している。

3  さらに、嬉野、杵島各農協においては、本人以外の者からの払出の申出があった場合、本人の意思の確認が必要であり、杵島農協では、右払出に来た者において、事前の預金者からの情報と食違いがある場合、本人に電話確認する(甲一〇の一、二、一一の一、二)。

四 預金者本人と払出人の同一性ないし払出権限の有無等

1 前示一5のとおり、確かに一般的にいえば、届出印鑑及び通帳を所持しているときは、本人から払出の委任を受けている場合が多いであろうし、かつかかる払出は、預金者本人と同居の家族がすることも一般には多いであろう。

2 しかし、他人であれば勿論のこと、本人以外の家族であっても、本人に無断で届出印鑑及び通帳を持ち出すことも、十分に想定し得る上、払い出す金額が高額であればあるほど、銀行等としては無権限者である可能性も想定しなければならない。従って、届出印鑑及び通帳を所持しているからといって、本人から委任を受けているはずであるとの断定的な判断をしてよいことには必ずしもならない。

3 銀行等の金融機関は、前示一3のとおり、能力に関していえば、金融・金銭出納関係の専門家として、一般人以上に高度の注意能力を有するところ、現に前示三のとおり、他の金融機関は、預金者保護のために一定の内規を定めており、例えば、地元地域に密着したやり方で預貯金を取り扱う郵便局等において、一定の厳しい審査基準を設け、たとい預貯金者の身内であって、かつ郵便局員等において、そのことが判っていてもなお、否、むしろ身内なればこそ、ふだん預入れをする者の場合でない限り、無断払出等があり得ることをも想定したものと認められる(なお、銀行等は、裁判所に顕著な事実として、例えば、相続人の一人が被相続人の預貯金の通帳と届出印鑑を所持している場合であっても、その相続持分[金銭債権は相続時に当然に分割承継される。最判昭和二九年四月八日民集八巻四号八一九頁、東京高裁判決平成七年一二月二一日東高民報四六巻一〜一二号三七頁]にかかる分の単独払出についてすらこれに応じていないところ、預金者自身が払い出すのではないことを知り又は知り得べきときは、たとい相続人の一人であっても、否、相続人の一人なればこそ、かかる注意をしている。)。

4  まとめ

以上によれば、銀行と郵便局等と必ずしも同列に論ずることはできないとはいえ、後示五の点も併せ考慮すれば、過失の有無の判断の前提として、届出印鑑及び通帳を所持しているからといって、あたかも払出の権限も備わっているかのように取り扱うかの類いは必ずしも相当でない場合があるし、そうである以上は、一定の類型的場合には、そうした正権限の有無を慎重に配慮すべき場合がある。

以上に対し、被告は、家族が本人の代わりに預金の払出に行くなどは日常茶飯事であるから、払出人が原告の子や孫にあたる年齢であったとしても、無権限者と疑うべき特段の事情があったとはいえないと主張するが、以上の諸点に照らせば、被告の右主張は説得的でない。

五  本件定期預金を担保とする貸越額と必要な注意

1 一般的にいって、問題の金額が高くなればなるほど、とりわけ預金管理・出納関係等の専門的機関である銀行においては、その取扱いにつき一層重要性が増し、取扱手続等もより慎重にすべきことはいうまでもないところ(なお乙一)、原告は、定期預金を担保とする貸越だけでも四四八万一九〇三円という払出額(以下「本件貸越額」という。)は、日常生活上必要とされる範囲の金額を超える額であるとするのに対し、被告は、かかる払出額が高額か否かは、家庭等によっても異なり、一概にはいえないとする。

2 確かに、本件貸越額が、高額か否かは、家庭や、預金者が個人か事業者か等によっても異なり、一律一概に断定・固定することは困難であるともいえなくないし、しかも右「高額」は時代とともに変わりゆく。

しかし、少なくとも本件貸越の当時、日本の一般の平均家庭であれば、かかる貸越額が高額でないとは到底いえないのはもとより、かかる額の払出をする場合は必ず事業主関係者等にして日常的な支出の範囲内の払出であると断定することもまたできない。法人名義ないし法人代表者名義、商店の屋号等の肩書きが記載された口座であれば格別、肩書のない単なる個人名義の口座の場合には、銀行等においては、右預金者は通常時の家庭生活上多額の資金需要と活用をむしろ必要としない通常の一般家庭等である可能性も十分にあると想定しなければならない。

3 のみならず、例えば夫婦関係にある者による無断払出を想定した場合、かかる本件貸越額は、むしろ一見して民法七六一条所定の「日常家事」の「連帯」「債務」の範囲内には属しないのではないかとの疑いを持つ金額であろう(もし日常家事の連帯債務の問題として仮定したとき、例えば配偶者がかかる金額の借受をしたような場合には、民法一一〇条の表見代理の規定の類推によっても、貸し主には同条の正当理由が認められないこともあり得る[東京地裁判決昭和五五年三月一〇日判時九八〇号八三頁等」。もとより、かかる場合と、夫婦関係にある者が定期預金の払出に来た場合とでは、そもそも相異なる側面もあるが、少なくとも定期預金の満期前解約や定期預金を担保とする貸越、すなわち民法四七八条の類推適用の場面においては、行為類型としてみても、また法的にみても、実質的には相当程度類似してくる面もあると思われる。しかも、夫婦関係にはない家族による払出の場合は、そもそも民法一一〇条の類推適用の基礎となり得べき法定代理権すらない場合がほとんどである。要するに、本件が如何に民法四七八条の類推適用の場面であるとはいえ、同法七六一条ないし一一〇条等による場合とで結論を大きく異にし、均衡を失する解釈適用は、やはり必ずしも好ましくないのではないか。因みに、払出人が預金者の配偶者を装った前示東京高裁判決の事案は、九〇万円の払出であった。)。

4  加えて、「低額貯蓄」非課税制度であるところのいわゆるマル優は現在三五〇万円である(公知の事実)が、本件定期預金を担保とする貸越額は、このマル優の額よりもさらに相当程度上回った額となっている(マル優の制度及び額は、とりわけ銀行員の間では弘くよく知られている)。

5  さらに、他の都市銀行等において、定期預金を担保とする貸越は金二〇〇万円までと定めるなど、慎重な態勢を採っていることは、前示三のとおりである。

6  まとめ

以上によれば、本件貸越額は、一般的に見て、高額である可能性が高く、これを高額ではないと認めるに足りる特段の事情も見い出せない。よって、本件貸越額の場合、払出人が届出印鑑及び通帳を所持しているとしてもなお、前示高度の注意能力・ノウハウのある被告において、本人であるか否か及び本人から正当な委任を受けているか否か等につき、何らの疑いを差し挟まなくてもよくなったり、預金者保護のための一定の配慮をしなくてよくなったりするものと認めることはできず、従って、かかる場合には、銀行等において、正権限ある者に対する払出であると認識したことの正しさを確かめるためにも、前示二6(一)の定期預金の満期前解約の場合に準じた注意を尽くすべきである。

六 本件定期預金についてのあてはめ

1 本件担保貸付ないし貸越の場合、法人名義あるいはその他その種肩書きのない単なる個人名義の口座であったところ、払出人は、当時未だ相当期間の残っている五年の長期満期の定期預金を担保として、前示高額の金員を払い出そうとしているのであり、しかもそうした中、右払出人は、払戻請求書を提出するや、後で取りに来る旨申し向けて被告鳥栖支店の店舗から離れている等の事情も認められるのであるから(しかも前示第二の二4のとおり、時間的な余裕がなかったわけではない)、預金の管理出納の専門家たる被告としては、少なくとも定期預金の満期前解約に準じた配慮をすべきであった。

2 然るに、被告鳥栖支店担当者は、前示第二の二6のとおり、窓口の徳渕はもちろん役席者ですらも、払出人に対し、本件定期預金を担保とする貸越につき、何らの発問すらもしていない。緒方証言、徳渕証言は、払戻請求書に印字される預金者本人の年齢等は、営業推進上利用するためにあるのであって、預金者本人確認のための情報ではない旨供述するが、信用できない。

3  まとめ

そうだとすれば、本件の場合、被告において、銀行として尽くすべき相当の注意をしたものと断ずることはできず、結局、本件定期預金を担保とする貸越につき、本件払出人が無権限の者であることを知らなかったことにつき、過失がなかったと認めるに足りる証拠はない。

七  被告の主張について

1  被告は、盗難事故届が被告に届いていない以上、被告鳥栖支店担当者は、総合口座の当座貸越につき、払戻人が通帳と届出印鑑を所持していること等が確認された場合、特段の事情がない限り、「銀行として尽くすべき相当の注意」をしたといえるとし、かつ右注意とは、普通預金の払戻しにおけるそれと異なるところはないとするが、以上に詳述したとおり、右被告の主張は理由がない。

2  次に、被告は、もし払出の際、あれこれ尋ねられたら、その人は二度とその銀行を利用しなくなる等の不都合が生じる旨主張する。しかし、右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、かえって、国民の預金を保全することも銀行には強く期待されている上、少なくとも定期預金の満期前解約の場合には、一般に解約の理由等を尋ねるなどしているところであるから、右被告の主張は理由がない。

3  被告は、さらに、本件事故は、そもそも原告において、通帳と届出印鑑を一緒の場所に保管していたことに由来する上、総合口座はどこの本支店であっても自由に払い出せる利便性を得られる以上、その危険を防止する責任は原告にあり、もし原告の主張する注意が銀行に課せられたら、右総合口座の制度趣旨は没却されてしまう旨主張する。

しかし、そもそも民法四七八条は預金者本人の過失を要件としていない上、総合口座を開設すれば、常にその中の定期預金までもが普通預金の性格に変じてしまうなどと解するのは相当でないから、被告の右主張は理由がない。

4  また被告は、本件当日の被告鳥栖支店における五〇〇万円以上の払出の数は四〇件もあり、原告主張の調査をすることは、徒らに業務の停滞を招く旨主張する。

しかし、仮に右件数等を前提にしてもなお、業務が停滞すると認めるに足りる証拠はない。しかも例えば前示類型的場合(法人等の肩書きのない個人名義口座で、かつ定期預金を担保とする貸付・当座貸越にしてその額が日常生活上必要な範囲や日常家事の範囲を超え、かつ例えばマル優限度額をも超える高額なもの)等に絞るのであれば、被告の危惧する業務の停滞が生じるとは到底思われない。よって、この点の被告の主張も理由がない。

5  加えて、被告は、都市銀行の契約と被告のそれとはそもそも異なる以上、前者の担保貸付限度額(二〇〇万円)を超える払出であるから過失があるとするのは、相当でない上、しかも本件総合口座取引規定三条に限度額を五〇〇万円までとする規定がある以上、その範囲内の払出については、原則として被告には過失はないなどと主張する。

しかし、預金者本人に対し、五〇〇万円の払出を認める(旨の契約をする)こと自体は何ら問題ではなく、預金者本人か否かあるいは正権限の有無につき、払出を認める額が高くなればなるほど、都市銀行等の払出限度額等から大きく超えれば超えるほど、より高度の注意が必要であるとするにすぎない。しかも緒方証言によっても、払出可能額が増えることは顧客にとってもメリットであるが、反面事故防止の観点も必要で、その接点をどこに求めるかが問題である旨述べているのであるから、払出可能額の増大に伴い、被告においてもまた、事故防止のための注意の重要性もまた増大すると解しても、何ら不合理ではない。よって、被告の右主張は理由がない。

八  普通預金の払戻部分について

以上のとおり、原告の本件定期預金を担保とする貸越の部分については、定期預金の満期前解約に準ずべきであるから、注意の程度が加重されるというべきであるが、他方、原告の総合口座中の普通預金からの金五一万八〇九七円の払戻分については、前示のとおり、請求があればいつでも払戻しに応じなければならない普通預金の性格からいっても、定期預金の満期前解約とは異なり、預金者において払戻しがなされないとの強い合理的期待と安心感を有しているとはいい難いのであるから、通帳及び届出印鑑の照合の確認等がなされた以上は、原則として、払戻しを拒む理由がないというべきである。

要するに、本件定期預金を担保とする貸越における銀行の尽くすべき相当の注意と、普通預金の払戻しにおけるそれとは、その内容及び程度は、その額の違いにも照らせば、そもそも異なっているのであり、またそのように解しなければ、銀行の尽くすべき注意は、次々に範囲が広がりゆくことにもなって、余りにも銀行の責任を重くするものとなろう。

そうすると、本件の金五一万八〇九七円の普通預金の払戻しについては、結局のところ、民法四七八条により有効であると解するのが相当であって、従って、原告の右払戻無効確認請求は理由がない。

九  結語

したがって、原告の本訴請求は、被告が平成九年三月四日にした原告名義の本件定期預金を担保とする金四四八万一九〇三円の貸付(当座貸越)は無効であることの確認を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条、六四条本文を適用して(仮執行宣言の申立ては理由がない)、主文のとおり判決する。

(裁判官早川真一)

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